校長室だより

校長室だより

「当たり前の生活様式」から「新しい生活様式」

 令和2年6月1日。新型コロナウィルス対応のための臨時休業が終わり、学校が再開しました。3か月前までは、毎日の学校生活はずっと続くものだと思っていました。日課どおりに進む時間。学校暦に予定された行事の実施。ずっとこのように日々を過ごしていました。「当たり前」の日常があったのです。社会状況の変化によって、「当たり前」ができなくなって、「当たり前」なことはどこにもないことに気づきました。「当たり前」の日常の時間が続くことが特別なことだったのかもしれません。
 学校が再開して、子どもたちが学校で生活することの意義を、改めて実感することができました。同時に、「当たり前」の学校生活も、臨時休業中の生活も、子どもたちにとって、等しくかけがえのない1日だったことも感じています。これからは、「当たり前」の毎日が価値あるものとして、教育活動を進めていきたいと考えています。
 これからしばらくは、新型コロナウイルス感染症と共に生きていく社会が前提となります。長丁場に備え、手洗いや咳エチケット、換気といった基本的な感染症対策に加え、感染拡大リスクが高い「3つの密」を徹底的に避けるために、身体的距離の確保といった「新しい生活様式」に、学校を含めた社会全体が移行することが求められています。学校においても、「マスクの着用」及び「手洗いなどの手指衛生」など基本的な感染対策を継続する「新しい生活様式」を導入し、感染及びその拡大のリスクを可能な限り低減しつつ、教育活動を継続し、子どもの健やかな学びを保障していくことを目指していきます。今後とも御協力よろしくお願いします。

53人の校長先生

 令和元年12月現在、校長室には29人の校長先生の写真が飾ってありました。小学校と中学校が別にあったときから、併設になって現在の校舎でスタートして現在に至るまでの、本校の歴史の変遷を感じることができます。長寿会の方々が校長室にいらしたときには、自分が在籍したときの校長先生の写真を見つけて、思い出話に花が咲きました。
 中学校の校長先生は初代からすべて飾ってありましたが、小学校の校長先生は、途中から掲示してありました。そこで、お名前だけでも掲示しようと、学報や小来川小学校100年史を元に調べ始めました。すると、校長室の写真より以前の写真も発見されました。小中一貫校に指定された記念に、小来川小中学校の歴史を感じられるように、歴代校長先生53人のお名前と、写真が確認できた49人のお写真をそろえることができました。学校にお出での際は、職員室に声をかけていただき、ご覧になってください。
 小中一貫校としての節目にあたって、これまでのよき伝統を踏襲しつつ、これからの新しい時代にあった特色ある学校づくりに邁進し、さらなる発展に向け努めてまいりますので、今後とも皆様の一層の御指導・御支援を賜りますようお願い申し上げます。

主体的な学び

 コロナウイルス感染拡大を防ぐため、4月13日より臨時休業が続いています。現在心配されていることは、学校での生活が送れない子どもたちの状況です。学習については、授業をできない中で、家庭での学習支援を進めています。通常の授業を思い浮かべると、いつでも先生がアドバイスしたり、問題の解答を確認してたりしています。やる気が起きなくても、そっと背中を押してやる気を引き出してくれます。考えが浮かばないと、いろいろな考え方を紹介してくれます。これらのことができない状況になっています。
 現在の私達は、様々なところで自粛が要請され、不自由な生活を送っています。こうした時間の中では、自分自身と向き合う時間が多くなります。自分と向き合うことにより今まで気づかなかった自分に気づくことがあります。私は、今まで時間がなくてやれなかったことの中で、やってみたらおもしろかったことがいくつか見つかりました。
 これからの社会を生き抜く子どもたちには、主体的な学びを十分に積み重ねていることが重要であると言われています。学校では手をかけ過ぎることで、子どもたちの主体性や創造性の芽を摘んでしまっていることがあったかもしれません。現在の状況はすぐには変わらないと思います。この環境で育つ力や姿勢もあると思います。「自分にとっておもしろいと感じるものは何か。」ということにしっかりと耳を傾けてください。そして、自分の未来のあり方と相談してください。見通しをもって粘り強く何かに取り組む時間となれば、学校が休業となっている時間も有意義なものとなるのではないでしょうか。

令和2年度のスタート

 令和2年度のスタートは厳しいものとなりました。新型コロナウィルス対応のため、3日間登校して臨時休業となりました。昨年度、約1か月間の臨時休業があり、久しぶりに登校してきた児童生徒は、きっと戸惑いを感じたことでしょう。新たに入学した小学校1年生も残念だったと思います。
 私達がこれまで1度も経験したことがない大きな動きが、世界中で起きています。このようなときに、自分たちにできることは何でしょうか。それは、自分の、そしてみんなの命を守るために、やるべきことを、約束を守って絶対にやり続けることだと思います。
 昨年度の集会では、免疫力を高める話をしました。ウィルスが体の中にいつ入ってくるかはわかりません。その時に、ウィルスと向き合える丈夫な体とエネルギーがあるかどうかで、病気の重さが変わってきます。エネルギーを蓄えるために、「早寝、早起き、朝ごはん」のような生活のリズムが大切です。日頃の生活においても、このようなときでも重要なポイントです。あせらず、当たり前のことを続けて、みんなでみんなの生活を守っていってほしいです。
 学校に登校できなくなると、学校に登校していたことが、当たり前でしたけれど、幸せな時間だったと感じています。学校には登校できませんが、時間は同じように過ぎていきます。児童生徒が、今の時間が将来、有意義なものだったと胸を張っていえるよう、大切に過ごしてほしいと願っています。
 学校教育目標
「心身の健康を一に、学びを求め、礼節を舎す児童・生徒」
 学校経営の基本理念
「一人一人の児童生徒の人格を尊重し、個性の伸長を図りながら、児童生徒自ら現在及び未来における自己実現を図っていくための自己指導能力の育成に努める。」

突然の臨時休業

 3月2日から24日まで、新型コロナウィルス対策として臨時休業になりました。児童生徒の健康・安全と感染の拡大防止のため、日光市内全校で実施しました。突然のことで戸惑いや不安もありました。学校ではできる限りのことを実行しました。ホームページでも、臨時休業中の様子を発信していますので、ぜひご覧ください。臨時休業中、教職員は家庭訪問や電話連絡をとおして児童生徒とふれあい、元気をもらいました。
 このような中での卒業式となりました。来賓の皆様の出席を控えていただき、参加者の健康状態を確認して、時間を短くして実施しました。参加者は、卒業生、在校生、保護者の皆様、教職員。例年より少ない人数でした。10日以上登校していない状態で、練習もままならない中で、卒業生は立派な態度で卒業証書を受け取りました。在校生も一生懸命送り出しました。会場となった体育館は、温かい雰囲気に包まれました。
 今回の新型コロナウイルス対策のための突然の臨時休業。いつもどおりの毎日が明日もやってくる。明日も学校がある。これはあたり前ではなかったのだと考えさせられました。自然災害や世界的な環境問題、人権問題など、児童生徒を取り巻く未来には課題がたくさんあります。どのような未来となっても、卒業生はこの小来川で学んだことを礎とし、誰かのために、自分のために、力と心を尽くせる人間になってくれると信じています。これからも教職員一同、卒業生の未来を温かく見守り続けていきたいと思っています。

海への憧れ

 私が小学校低学年の頃、海水浴に子ども会で行っていました。夏休み前に学校の校庭で、波がくることを想定して海に入る練習をたくさん積みました。海水浴当日はバスに乗って行きました。海が近づいてくると、パッと太陽と松林と海が見えるところがありました。その瞬間、思わず笑っていたことを覚えています。海を見たことがなかっただけに、海に対する憧れが非常に強かったのでしょう。その情景は今でも思い出すことができます。
 1月27日から29日まで、小学校5・6年生は2泊3日で臨海自然教室に行きました。本校にとっても私にとってもは久しぶりの行事でした。冬ということもあり、ギラギラした太陽とは出会えませんでしたが、3日間、日常とは違った環境で学習することができました。特に、思い出に残ったのは塩づくりだったようです。担任の先生が荒れる海から、必死でくみ上げた海水を煮詰めて塩をつくりました。湯西川小学校の子どもたちと協力してできた塩の味は格別だったでしょう。様々な活動や見学をとおして、たくさんの感激・驚き・ときめきを得ることができたようです。帰ってきたときの子どもたちの表情には達成感・充実感があふれていました。臨海自然教室は子どもたちにとってかけがえのない思い出の1つになったことでしょう。子どもたちは私ほどの海への思い入れはなかったですが、出発する前にめあてとしたことは、すべて達成することができました。
 今年度もこのような充実した教育活動ができましたのも、地域の方々や保護者の皆様のご支援のおかげです。ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

 

卒業式

 今年の冬の寒さはやわらかかったものの、季節が春へと移りつつあることを感じるのはうれしいものです。春の訪れを感じるようになった今日のよき日に、保護者の皆様の御参列をいただき、令和元年度卒業証書授与式が挙行できました。
 卒業生のみなさん。ひとりひとりに卒業証書をお渡ししました。おめでとうございます。みなさんの新たな旅立ちを心よりお祝いいたします。小学校6年生は、来年度から中学生として学校を支えてもらいます。中学生としての自覚と行動を期待しています。
 中学校3年生のみなさんと私が一緒に過ごしたのは、2年間でした。この間、中学生として授業や部活動に真剣に励む姿は、私の胸を熱くしてくれたり、がんばろうと背中を押してくれたりしました。思い出とともに、みなさんの確かな成長を感じることができました。
 練習を続け、やりとげた運動会や文化祭。一瞬一瞬のみなさんの姿は、さすが最上級生といえるものでした。これまでの伝統を立派に引き継いでくれました。様々な行事での中学校3年生の姿は、これからの小来川小中学校に、あこがれと目標を与えてくれたことと思います。輝いていたことを私は忘れません。
 ここでみなさんの門出にあたり,2つの言葉を贈ります。
 1つめは、みなさんの「気持ち」についてです。今年度、何度かみなさんに投げかけた言葉です。文化祭で話した「菜根譚」にこんな言葉があります。
「見るべし、天地には1日も和気無かるべからず、人心には1日も喜神無かるべからざることを。」
意味は、天地の間にはたとえ1日でも、のどかな陽気がなくてはいけないし、人の心には、たとえ1日でも喜び楽しむ気持ちがなくてはいけないということです。心が軽くなったり重くなったりすることはあります。その中で穏やかで上機嫌な状態でいると、すべてはうまく進みます。どのような自分でいるかが大切です。自分の中にある確かなものを忘れず、目の前に広がる世界に果敢に、誠実に、挑んでいってください。
 2つめは、「小来川の四季」についてです。4番まであるこの曲は、小来川の風景を思い浮かべることができます。朝、登校時間前に校庭を歩いていると、この曲の風景が広がっています。
「山も小鳥も姿を映す 清い流れの小来川 春はほのぼの霞たな引く 夢の里」この里は、本当によいところです。これから、この里を離れることがあるかもしれません。泣きたくなったり、くじけてしまいそうになったりしたときには、どうぞ、ここで学んだ小来川の四季を思い出してみてください。体のどこかから、力がわいてくると思います。ここで学んだこと、ここで育ったことを誇りにして進んでいってください。
 最後になりましたが、保護者の皆様、お子様の御卒業、誠におめでとうございます。立派に成長しました姿に、これまでの時間を振り返り、感慨ひとしおと拝察いたします。明日からの新しい生活が、お子様が自分が求める未来に向かって、自分の足で歩き出そうとしています。これまで、御支援、御協力いただきましたことに、改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。
 卒業生のみなさんの人生はこれからです。結びに、卒業生のみなさんにとってこれから続いていく未来が、幸多きことをお祈りしています。

そば打ち体験

 12月3日(火)。小学生は待ちに待った日を迎えました。「そば打ち」です。今年は、夏休みにそばをまいて収穫して、石臼でひいてこの日を迎えたので、昨年まで以上に気合いが入っているようでした。毎年、そば打ち名人の指導により、着実に技術を身につけています。
 そば打ちの第1歩は、そば粉をまぜることから始まります。その日の天候などによって、入れる水の量を調整するそうです。体験でも、数グラム単位で名人の方々は調整していました。そばは本当に繊細な食べ物なので、この調整こそが名人技なのでしょう。そして、そば粉に水を入れて混ぜる水まわしをして、水がそば粉に均等に行きわたると、小さなつぶがたくさんできます。小さなつぶを合わせながらこねていきました。この時、三角すいの形になる様にそば粉を練っていきます。ここまでは今年初めて挑戦しました。小さなつぶがだんだんとまとまってくる様子は、見ていても気持ちがよいものです。
 練ったそば粉を伸ばし、均一の厚みにしていきます。そして、そばを切っていきます。完成したそばは、すぐにゆででいただき、すぐに試食しました。みんなで協力してつくり、名人に整えていただき、1本1本気持ちを込めて切ったそばは、本当においしかったです。
 私が、勤務校を聞かれたとき、「小来川小中学校です。」と答えると、「この間そばを食べに行ったよ。」と返事がくるほど、そばの有名なところです。年1回ながら、うまくこねられた、うまくのばせた、太さがいっしょになったなど、充実感のあった時間となりました。その作業を見て、年越しそばを作ってみましたが、私は、まだ修行がたりないようです。

小中一貫校の研修会

 11月12日(火)。本校において、小学校教育研究会上都賀支部へき地複式部会・上都賀地区中学校教育研究会へき地教育部会の合同研修会が開催されました。日光市・鹿沼市の小中学校から先生方が集まり、本校の先生方もあわせると33人の研修会になりました。研修会では、小学校の「英語」「体育」「特別の教科道徳」の授業を公開しました。
 また、授業研究会では、本校の取組についてご意見をいただいたり、情報交換をしたりすることができました。本校は市教育委員会より今年度から、小中一貫校に指定されています。昭和50年度小中併設校として出発してから、様々な取組が40年以上にわたって蓄積されてきています。今回の研修会は、その成果を確認する場にもなりました。
 小中一貫の学習指導については、中学校職員が専門教科について、小学校の授業を担当しています。「社会」「理科」「英語」「体育」「音楽」で行っています。また、教科によっては小学校職員が中学校免許状により中学校の授業を担当することもあります。小学校1年生から中学校3年生まで在籍しているので、児童生徒の発達段階に応じた共通理解と指導が必要となってきます。授業を見ていただいた感想は次のとおりです。
・子どもが素直に自分の考えを言うことができていた。先生は、子どものつぶやきを聞き逃さず、授業で生かしていた。
・授業の仕掛け、場の設定など、労を惜しまず行っている様子がうかがえた。大人の手が入りやすいことも良さの1つである。
・協力的な学習態度を育てやすい。地域の方を講師として学ぶこともできる。
 たくさんのご意見をいただき、本校としての成果と課題を整理できた1日となりました。「小中一貫校」については、「学報」で詳しくお伝えします。

つなげてみようつながってみよう

 「2学期は、つなげてみようつながってみよう」
と伝えたのは、8月26日の始業式のことでした。学習したことや経験したことをつなげる、つながることができれば、学習した内容はどんどん広がり、生きた力となって働くと考えたからです。
 今年も小来川文化祭において、学校で学習したことを発表する機会をいただきました。小学生は英語の発表。中学生は創作劇から、最後は、小中合同での合唱という構成でした。子どもたちは、短時間でしたが文化祭のために練習を重ねてきました。限られた時間の中で精一杯がんばり、自分たちの想いを伝える表現を学び、仲間とともに努力してきた成果を、会場いっぱい表現することができました。
 当日の開会式では子どもたちに、文化祭の意義として、中国の古典で、洪自誠の書いた菜根譚という本の一節を紹介しました。
「心はいつでも空っぽにしておく必要がある。空っぽになっていれば正しいことは自然に解かる。心はいつでも充実させておく必要がある。充実していれば物欲など入る余地はない。」
 文化祭では、しっかりと表現するとともに、地域の発表、展示などから、心をいっぱいにするようなよりよい文化に触れ、社会の一員としての振る舞いを学ぶことができたと思っています。
 地域の皆様、保護者の皆様からの大きな拍手と温かいご声援に、子どもたちもたくさんの勇気をいただきました。一人一人が輝く感動の文化祭を、皆様と一緒に共有し、素敵な時間となりました。ありがとうございました。

ふるさと大運動会

 9月29日(日)。子どもたちの2年分の願いが叶って、晴天の下、伝統ある56回目の小来川親善体育祭、本校大運動会、合わせて、小来川ふるさと大運動会が実施できたことに心から感謝とお礼を申し上げます。開催に向けて、運営に関わってくださった方々、御臨席いただいた来賓の皆様、そして、お忙しい中、参加していただいた地域の方々に感謝申しあげます。ありがとうございました。
 子どもたちは運動会に向けて、短い期間ではありましたが精一杯練習に励んできました。その中で、仲間と協力し合い、自分のもてる力を出しきることの大切さ、すばらしさを学んできました。子どもたちにとっても、汗を出し、力を出し、声を出し、思い出に残るふるさと大運動会になったことでしょう。子どもたちは練習の成果を披露することにより、地域の方々に思いを伝える機会にもなったのではないかと思っています。
 また子どもたちは、地域の方々の真剣に競技する姿や、演技に声援や拍手を送る姿を見て、たくさんのことを学びました。演技をする人、応援する人、係の仕事をする人、観る人、みんなの心が一つになり、すばらしいふるさと大運動会になりました。
 今年の夏は天候が不順で、夏休みの間に校庭が荒れてしまいました。夏休みの後、保護者の皆様や長寿会の皆様方の力をかりて、きれいな校庭に戻していただきました。本当にありがとうございました。運動会が終わった後には、またゴミ1つ残されていないきれいな校庭が残っていました。
 地域の方々の協力によるすばらしい環境のもと、これからも子どもたちとともに、充実した時間を過ごしたいと思います。ふるさと大運動会に、参加された皆様方に、改めて感謝申しあげます。ありがとうございました。

夏休みのチャレンジ

 「夏休みには何かにチャレンジしよう。」
これが、子どもたちに1学期の終業式で投げかけた言葉でした。こんなことを言ってしまったので、自分でも何かに取り組んでみようと夏休みの研修等に臨みました。
 主に取り組んだのは、算数・数学と図画工作・美術です。算数・数学では、関数や微分積分をやさしい本で学習しました。小中学生の時と違い、点数に直結しないせいか、ゆとりをもって取り組めました。できなくても仕方ないという感じで学習していると、何かに使うために算数・数学を学習するのかではなくて、算数・数学の考え方で物事をとらえるとわかりやすいかもしれないという思いに至りました。数式は解けなくても、数式の考え方は少しわかったのです。出会ってから数十年経って、初めて算数・数学を学習する意味がわかりました。
 図画工作・美術では、小来川小中学校の校舎内に飾られている絵画を見ているうちに、自分の好きな絵はどういう絵だろうと考え、いくつかの美術館に行きました。訪れた美術館の学芸員の方からは、絵の中で見つけたことや感じたことを率直に表現してよいことを知らされ、思うように絵画などを見て、感じたことを話し合いました。当然正解はなく、どんな意見も認めてくれました。そうした経験から、この絵は好きだなとか、この彫刻はおもしろいとかと素直に表現できるようになりました。
 絵の見方を学ぶと歴史も気になりました。出会った「齋藤孝のざっくり!美術史」によると、「美術のスタイルは『関数』です。美術のスタイルという概念に当てはめると、スタイルとはy=f(x)の『f』という変換作用だということになります。『f』という『要素』とは、xに何かを入れるとyはこうなるというルール、法則性があるということです。(一部要約)」画家のスタイルをそれぞれの絵ではなくて、関数すなわち変換の法則性でとらえるとすごくすっきりしました。関係ないと思っていた事柄がつながることにより、少しだけ世界が広がり見やすくなった気がしました。
 自分の中にはどんな関数があるのだろうと確認しているうちに、長かった夏休みは終わりました。夏休みは私にとって大きな収穫があった時間となりました。

七夕の願いごと

 七夕の由来は、織姫・彦星の物語から始まります。竹に短冊をつけて願いごとをするようになったのは、江戸時代の頃からだそうです。機織りの名手であった織姫にあやかり、機織りの技が上達するようにというところから、様々な手習いごとの上達を願うようになったことがルーツとされています。手習いごとや寺子屋で学ぶ子どもたちが増えていったことから、上達を願う習慣が広がったのでしょう。
 私は子どもの頃、里芋の葉にたまったつゆを集めて墨をすり、その墨で文字を書いて願ったこともありました。時期は、旧暦の七夕として月遅れの八月に飾っていました。たぶん、剣道がうまくなりたいとか、卓球の試合で勝ちたいなど願っていたような気がします。農作物の豊作を祈るため、ずっとつくらされていました。
 今年も学校では、児童会で飾りをつくり全校生、教職員で願いごとをしました。何かが上達したい、家族に長生きしてほしい、お金持ちになりたい、何歳になったときこうしたい。様々な願いごとが飾られました。
 1年の中で願いごとをする機会は、何度かありますが、自分がしていることの上達を祈るのは、この機会が1番ではないでしょうか。現在していることの上達、将来の希望、家族の幸せ。どれも素敵なお願いです。これから楽しみな夏休みを迎えます。願いごとが願いだけに終わらずに、自分の頑張りの糧になるよう祈っています。

意識が広がった修学旅行

 修学旅行の思い出をたどると、みんなでお寺や神社をまわったことが思い出されます。修学旅行の目的とは、今も昔も日本の文化や歴史に興味をもつことではないでしょうか。普段の旅行と違い、同級生と旅行して学習することも大きな目的の1つです。
 今年度の中学校修学旅行を引率するにあたって、単に見学するだけではなく、日本の文化・歴史に興味をもって何かを学んでこようと考えました。その1つが仏像の見方です。これまで、特徴的な仏像は心に残っていたものの、仏像の種類や見分け方は知りませんでした。調べてみると仏像は、如来、菩薩、明王、天などに分類されることがわかりました。大きく4種類しかないのです。如来は悟りを開いた仏で人々を苦しみから救うものです。菩薩は修行中の身で人々を救うもの、明王は大日如来の化身の姿で、煩悩に怒りを表すもの、天は仏教を守護するもので、古代インドの神々が仏教に吸収されたものです。見分けるという視点によって見方が変わり、「大きな仏像がある」から「如来である盧舎那仏(大仏)がある」とイメージが変わりました。その後、なぜ如来が建立されたのかと思いが広がりました。仏像から日本の文化・歴史に意識が広がった瞬間でした。
 子どもたちの学習においても、興味関心がある部分的な事柄から、その全体へと広がることがあります。子どもたちが行っている学習は、部分と全体とのつながりを知ることによって効果が高まっていきます。現在は情報化の時代と言われて、世界中の情報がどこにいても見ることができます。部分はどこにいても手に入ります。まず、部分を手に入れるには、子どもたちの興味関心のセンサーに反応するかです。修学旅行は本物とふれ、そのセンサーが大きく反応していました。この経験が大人になったとき、どのような思い出となって残っているのでしょうか。

初めての獅子舞

 4月29日。東小来川公民館で生まれて初めて獅子舞を見ることができました。青い空の下、3人の舞い手が笛などの音楽に合わせて舞う獅子舞は、まさしく荘厳な舞でした。獅子舞は、ここまで順調に受け継がれてきたわけではないことをうかがいました。一時中断していた時期もありましたが、伝承していくために、舞い手を育成して、次の時代に引き継ぐしくみを整えることにより、現在につながっていることがわかりました。
 私の住んでいる地域でも、獅子舞があったと聞いたことがあります。現在では、お祭りのときに「頭出し」という、獅子頭だけを取り出す行事が残っているだけになってしまいました。このようなものを継承し、後世に伝えていくためには、地域の方々の積極的な関わりがあったことを知ることができました。
 昔は年中行事と呼ばれた、伝承的な行事が多くありました。日常と違った行事を行うことによって、楽しめるような工夫や地域の連携を深めていったように感じています。現在は、昔に比べて生活のリズムがはやくなり、年中行事も変化しつつあると言われています。学校においても、このような行事は大切にしていきたいと考えています。