校長室だより

校長室だより

「ホタルも知ってるきれいな川」

 3年前に小来川小中学校に赴任したとき、「水きよらか 心もきよらか」という生徒会の看板に出迎えていただきました。緊張して学校に向かっていたので、ほっとしたことを覚えています。調べてみると、生徒会で作成した看板は小来川地区内にたくさん存在することがわかりました。でも、その多くが傷んでいる状況にあります。そこで、児童生徒会と学校・PTAで協力して、修繕することを考えました。今年度は、コロナ禍で暗いニュースが多かったので、明るい話題を学校から発信するきっかけにしたいと思っています。現在、15枚の作成を進めています。
  先日、昭和30年代に小来川小中学校を卒業された方が、思い出の品物と写真を届けてくださいました。小中学校時代の思い出をお聞きしました。当時の学報を懐かしそうにご覧になり、現在の学報を見て続いていることに驚かれました。小来川には、たくさんの伝統を受け継いでいこうという強い意志があります。この伝統を今後とも誇るべきものとして、よい形で後世に伝えていきたい。この看板も、その一つ時代を越えてつながっていくもの、そしてこの後の小来川を支えていくのは、標語を考えた子どもたちです。
 学校から家に向かうとき、「ホタルも知ってるきれいな川」という看板に見送られます。今年の夏に、小来川でホタルを見ました。次第に暗くなっていく中で、淡い光が1つ2つと増えていき、数えきれないホタルが舞う様子は、本当に美しい時間でした。看板を見るたびに、あの情景が浮かんできます。

「答えがない問題 答えが出にくい問題」

 3月の集会では、哲学について話しました。図書室に、「10歳の君に贈る、心を強くする26の言葉 ~哲学者から学ぶ生きるヒント~」(えほんの社)があって、手に取ってみたからです。冒頭に、
「古代から数々の哲学者は、世界や人間について考えてきた。いまだ答えが出ないもの、心理を追究したもの、人の心を救うもの…。しかし世界はとても広く、まだまだ多くの謎に包まれている。(中略)哲学を通して、君は今まで意識したことがなかった世界を見るだろう。(後略)」
 図書館で調べると、たくさんの子ども向け哲学書があることがわかりました。そこには、素朴な疑問への考えが示されています。例えばこのような疑問です。
「勉強ができないけど、どうしたらいいの。」
これには、ソクラテスの「無知の知」が紹介されていました。みんな自分が知っていると思い込んでいるだけで、実は何もわかっていない人が多い。思い込んでいると先に進めないので、何も知らないと知っている人は前に進める。できないとわかっているから、努力できると紹介しています。改めてこうした言葉にふれると、新たな考えがわいてくるようです。いろいろなことを知って考えることを、心の小部屋を増やすと表現してありました。心の小部屋を増やすと心が強くなる。そう信じたいです。
 今はコロナ禍で、これまでにない学校生活を過ごしています。
「よりよい生き方って何だろう。」「本当の幸福は何だろう」
この時間だからこそ、考える価値があると思います。考えることによって、よりよく生きるヒントがつかめることを願っています。

「諸行無常から日々是好日へ」

 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」
これは平家物語の冒頭文です。祇園精舎の鐘の音は、この世のすべては絶えず変化していくものだという響きが含まれています。
 令和2年度は、本当に変化の多い1年間でした。4月には、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、3日間登校した後、約2か月間の臨時休業となりました。学校には子どもたちの姿はなく、教職員も交替で在宅勤務をしました。その後、分散登校という一斉に登校しない登校日を経て、6月1日に学校は再開されました。登校時には体温を測り、常時マスクを着用する。いつもまわりと距離を保つソーシャルディスタンス。再開直後は、とまどっていた子どもたちも次第に慣れていきました。校外学習など、当たり前の教育活動が制限されて、徐々に落ち着きを取り戻したのは、2学期が始まった8月下旬でした。修学旅行、宿泊学習を工夫して実施したり、校庭で歌を歌ったり、1人分ずつ調理実習をしたりして、学校の日常を取り戻す日々となりました。しかし、様々な状況が変化し、その対応に追われる日々でもありました。その影響で、ふるさと大運動会や小来川文化祭は実施できませんでした。大きな行事のなかった学校の時間は、諸行無常の響きにつながるような気がしていました。
 諸行無常の響きの中で出会った言葉が、「日日是好日(にちにちこれこうにち)」です。「日々是好日」は雲門禅師の悟りの境地を表した言葉です。今日はよい日だ悪い日だというこだわりやとらわれをさっぱりと捨てて、その日1日をただありのままに生きる、清々しい境地です。この一瞬を精一杯に生きると言うことです。その一瞬一瞬の積み重ねが一日となれば、それは今までにない、素晴らしい一日となるはずです。「〇〇はできない」から「〇〇はこうしたらできる」と、気持ちが前向きになってきました。この1年間は、その日その日、1時間1時間を大切に過ごした1年間にもなりました。
 このようなコロナ禍の中で教育活動に集中できるのも、教育振興会長様をはじめとする振興会の会員の方々、小来川の地域の方々の支援によるものが大きいと感じています。多くの支援により、子どもたちは充実した教育活動を行うことができました。また、スクールガード・図書ボランティア・お掃除し隊などのボランティアの方々も、様々な配慮をしながら活動をしていただきました。そして、学校を理解し支援してくださる保護者の方々の協力を得て、学校は今年度1年間、無事に過ごすことができました。ありがとうございました。
 まだまだコロナ禍の影響は続くと思われます。臨時休業中に、校長室の文書を整理する機会がありました。小来川学報についても、「村と学校」の創刊号から目を通すことができました。その発刊の辞が目にとまりました。
「人間の住む世界の歴史を振り返って見ると幾度か大きな変わり方をしている。(中略)我々は学問と生産と生活を一体とする建設的教育に立ち上がらねばならない。性急に立ち上がる前に暫く我々の足下を見ようではないか。」
 現在の私達もしっかりと足下を見る機会をいただいているのかもしれません。これからしっかりと立ち上がるために、今後の行くべき先をしっかりと見極める時間をいただいているのでしょう。この一瞬を精一杯生きることで、前に進んでいける気がしています。

「始まりと終わりを意識する」

 令和2年はコロナで始まりコロナで終わった1年でした。令和2年を振り返ると、職務上、行事や集会などで児童生徒に話す機会があります。新型コロナウイルス感染症についても話しましたが、令和2年に話したことで一番心に残った言葉は、「始まりと終わりを意識する」でした。「大人になってこまらない自分コントロール」という本を紹介した時です。自分の分身となる脳をうまく使うと、自分自身がコントロールできる内容でした。
 自分をコントロールする方法の1つとして、しぐさを意識するとうまくいくことが紹介されていました。「~したら、~する。」「水道で水を出したら、最後まで止める。」「ドアを開けたら、最後まで閉める。」「くつをぬいだら、くつをそろえる。」始まりと終わりを意識すると言うことです。意識してみると、様々なことが見えてきました。例えば、1日の始まりと終わり。朝は様々なことをしています。朝食を食べたり着替えたり顔を洗ったり。1つでも忘れてしまうと、1日がぼんやりしてしまうようです。終わりは1日のことを振り返り、反省したり自分で自分をほめたりしていました。
 始めるときは、意識しているような気がしますが、終わりを意識することは少なかったように感じました。始めるときに、終わりを意識して始めるとうまくいくような気がしてきました。12月には、管理栄養士さんに健康管理について指導いただく機会がありました。約半年間で、体重を減らしてより健康な体になることを一緒に計画しました。終わりを決めているので、がんばれるような気がしています。コロナ禍も終わりが意識できると、がんばれる気がしています。

「見える化」

 今年度は新型コロナウイルス感染症の影響で、学校は大きく変わりました。臨時休業中は、教育活動について考える日々でした。そこで思い立ったことは、意識することの見える化です。よくダイエットなどをするとき、目標体重を紙に書いて貼っておくように、意識したいことを、紙に書いて貼ってみました。
 現在、職員室には人権集会で話した「自尊感情」が掲示してあります。校長室には、書道教室で指導いただき、自分で書いた書道が掲示してあります。
「普通の人は、普通に生きているのが1番幸せです。しかし、普通に生きていくのが、1番難しい。」
 コロナ禍の今、普通に過ごすありがたさを感じています。制限はあるけれども、精一杯生きたいと思っています。