R2・R3学校だより
紅葉 最高です
奥日光の秋・・・
紅葉が見頃になってきました。
自然探索会
地元「奥日光を知ろう」という目的で自然探索会を行いました。コースは竜頭の滝・千手が浜・西の湖です。小中学生が2つの班に分かれて自然ガイドさんの説明を聞いたり自然に関するクイズを出したりしました。途中,キツネに出会ったりミズナラの巨木に触れたりと充実した一日になりました。
「・・・だから中宮祠小中学校が好き!」
中学校修学旅行
10月7日(水)~9日(金)まで、2泊3日の修学旅行に出かけました。大切な旅行ですから無事に実施できてほっとしました。生徒はもとより、保護者の方もきっと同様だったのではないかと拝察いたします。今年は奈良・京都方面から変更して、岩手・宮城方面を訪れました。1日目は宮古市の浄土ヶ浜を中心に行動。2日目は宮沢賢治の足跡をたどり、そして中尊寺へ。3日目は松島の名跡を班別行動して水族館を巡りました。いろいろなことに恵まれた3日間でした。天候に恵まれて雨が一行をよけてくれました。タクシードライバーさん、添乗員さん、現地のガイドさんや各所のスタッフさんに恵まれました。事前の準備がきちんとしてあったこと、そして、生徒達がとても礼儀正しい態度だったので、気持ちよく安心していい旅行を楽しむことができました。また、震災について被災した建造物や場所を見、説明を聞くこともできました。
「さよなら東北」仙台駅を出るときに聞こえてきた生徒の言葉が印象的でした。東北の風土、歴史、文化、人々に触れることができた3日間でした。
研究授業
中1年生遠足
コロナ渦の東京をあきらめ、長時間のバス移動を避けられない会津方面をあきらめ、地元で遠足開催!地元を見直す素敵な機会を得ました。男体山ヨットクラブの方々のご厚意でヨット体験。続いてPTA会長さんのご厚意でモーターボートに乗り込み、中禅寺湖南岸の阿世潟に着けていただき、そこで浅井精肉店さんのお弁当を食べ、さらに八丁出島の先端を目指して歩き、イタリア大使館で雨宿り休憩。無事に歌が浜に返ってきました。曇りで男体山の雄姿が見られなかったのが残念でしたが、地元ならではの体験学習満載の1日でした。
10月になると
今日は10月5日の月曜日です。児童・生徒・職員ともに元気に学校生活を送っています。
さて今日、週明けで出勤した中宮祠は、先週と比べるとぐっと秋の感じが強くなりました。
これから迎える探鳥会や自然探索が楽しみです。
今年は例年になく本校を訪れる、もしくは訪れるかもしれない市内の学校が増えています。9月、10月に計4校あります。木々の色付きが見られるといいですね。
ところで現在本校は暖房工事の最中です。色づいてきた景色を見ながら工事の音を聞くと、「冬近し」の感じがします。
小3社会科見学
校舎流失追悼式
<資料>
明治35年(1902年)二荒山神社の境内の建物を借り,加藤嘉藤次先生を迎えて日光尋常高等小学校の中宮祠分教場が開校された。児童数20数名3クラスであった。
明治35年は8月中頃より毎日のように雨が降り続いた。9月27日(土)の夜,加藤先生の一家3人は「つたや」で風呂に入り,学校に帰った。翌28日(日)午前10時頃に「観音薙土石流」が起こり,校舎もろとも先生親子3人が湖水深く沈められた。区民一同,先生親子の遺体・その他を捜し求めたが9歳になる娘さんの下駄と赤い着物の切れ端が湖面に浮いただけであったという。区民一同の志で共同墓地に墓が建てられ,また,昭和58年(1983年)に分教場跡(二荒山神社境内)に追悼碑が建てられた。この観音薙土石流のあと,立木観音は歌ヶ浜の地へ移された。
・1902年の天候 初夏から天候不順。真夏でも霜や冷たい雨。9月下旬,停滞する秋雨前線と,日本列島を西から東へ移動する弱い熱帯低気圧の影響で日光には相当量の雨が降り続いた。 さらに,沖縄近海を北上する熱帯低気圧が秋雨前線を刺激し,いっそう雨脚を強めた。9月28日の朝,台風が関東へ上陸,午前10時頃に足尾付近に到達。足尾付近の最大風速23m,24時間の雨量262ミリ。さらに,沖縄よりの熱帯低気圧が28日の午後,名古屋から北陸方面へ本州を縦断。日光市内~湯元間の大谷川にかかる橋で残ったのは大尻橋のみであった。(神橋も流失)