ふるさと足尾の歴史

2020年12月の記事一覧

☆古河橋の「星カード」

 「見上げてごらん 日光の星を」というタイトルの記事が11月30日の下野新聞で紹介されました。その後も読売新聞栃木版にも掲載されました。『冬季誘客へ「星カード」 3密に配慮、新事業 市観光協会』という見出しもついていて、5枚の「星カード」がカラーで掲載されていました。5枚のうち1枚が、「足尾古河橋」の星カードでした。

 その星カードの表面には「渡良瀬川源流 1200年前と同じ星たち」と書かれています。裏面には「QRコードを読み込んで特別な星の物語を聞こう!」と書かれていて、カードの配布場所の地図が掲載されています。4年生が理科で星を学習するときに、足尾の歴史を見守ってきた星の物語を聴いてもらいたいと思っています。

  

 古河橋の説明板には「古河橋は、明治中期までに架設された産業用鉄橋として、原位置に現存する極めて貴重な橋で、足尾銅山の誇れる産業遺産である【略】」と書かれています。平成5年に「新古河橋」が下流側に架設されたので歩道橋として残されたそうですが、現在は立入禁止になっています。

 12月28日に撮影しました。

鉄道唱歌足尾編

 わたらせ渓谷鐵道の通洞駅には、「鉄道唱歌足尾編」という説明板が日光市によって設置されています。その看板には、「’’汽笛一声新橋を..’’で知られるこの歌は、全国の風物を歌い込んだもので、その中に足尾の文句が7番もある。足尾が歌われたのは足尾線が足尾に敷かれた大正元年(1912年)以後であろう。」と書かれていて、31番から37番までが書かれています。(後日紹介します。)

 先日来校した先生が駅に行かれて、「鉄道唱歌に足尾編がある」と教えてくださったので、さっそく行って見てきました。これから、鉄道の歴史についても調べて、ホームページで御紹介したいと考えています。足尾には調べると楽しい発見がたくさんあります。

 

 

発見!!足尾の戦国時代

 ホールに「足尾地域を知ろう!」というコーナーを作りました。先週掲載した「二宮尊徳と足尾」と一緒に掲示しているのが、戦国時代の足尾についての資料です。

 平成30年から日光市歴史民俗資料館では、足尾原村文書の調査をして、286点もの古文書を確認したそうです。その中に、新発見の戦国時代の古文書が含まれていたそうです。それらの資料から、下野国内外の有力者が足尾に注目していたことがうかがえるそうです。また、足尾には、戦国期の年号が入った仏像や石造物が残っているそうです。

 足尾は、1610年に足尾銅山が発見され繁栄したと言われていますが、この発見により、銅山で繁栄する以前の戦国時代の足尾の姿が少しずつ明らかになってくるのが楽しみです。(日光市歴史民俗資料館の令和二年度速報展の資料を参考)

 伊達政宗が使用した「獅子の黒印」が押された古文書も見つかりました。4年生は、社会科見学でこれらの資料を見てきました。

二宮尊徳と足尾

 先月、4年生が二宮尊徳記念館に見学に行ってきました。社会科で郷土の発展に尽くした「二宮尊徳」について学習しています。記念館発行の絵葉書には、足尾の「遠下」「原」「松木」「高原木」「神子内」の美しい風景があります。その絵葉書をぜひ他の学年にも見てもらいたくて、ホールに「足尾地域を知ろう」というコーナーを作って掲示しました。二宮尊徳が日光神領を「廻村(かいそん)」したときに、足尾にもやってきました。2回目の廻村は、鹿沼の古峰原から足尾を通り、清滝方面へというルートでした。記念館の資料を見ると、当時の足尾の14の村(赤沢・新梨子・遠下・原・唐風呂・中居・掛水・間藤・赤倉・久蔵・松木・仁田元・高原木・神子内)を廻ったそうです。