渡良瀬川
本校の校庭の南側には渡良瀬川が流れています。
(国土交通省 渡良瀬川河川事務所の資料から)
渡良瀬川とその支流のほとんどは「皇海山(すかいさん)」を最高峰とする足尾山地から流れて出ています。渡良瀬川は、山地を小枝状に刻みつつ、谷や段丘を作りながら南西の方角に流れ、大間々から下流にかけては足尾山地と八王子山地のあいだを流れています。
かつて渡良瀬川は、「太日川(ふといがわ)」と呼ばれ、およそ1000年前には現在と違うルートを流れていました。
江戸時代になると徳川家康が埼玉平野の開発、舟運による東北地方との経済交流、江戸を守るための外堀を築くという施策を講じます。その開発の中で、1921年頃には利根川と太日川(渡良瀬川)を直結させる工事が行われました。これによって、現在の渡良瀬川は利根川最大の支流となりました。
(国土交通省 渡良瀬川河川事務所の資料から)
渡良瀬川とその支流のほとんどは「皇海山(すかいさん)」を最高峰とする足尾山地から流れて出ています。渡良瀬川は、山地を小枝状に刻みつつ、谷や段丘を作りながら南西の方角に流れ、大間々から下流にかけては足尾山地と八王子山地のあいだを流れています。
かつて渡良瀬川は、「太日川(ふといがわ)」と呼ばれ、およそ1000年前には現在と違うルートを流れていました。
江戸時代になると徳川家康が埼玉平野の開発、舟運による東北地方との経済交流、江戸を守るための外堀を築くという施策を講じます。その開発の中で、1921年頃には利根川と太日川(渡良瀬川)を直結させる工事が行われました。これによって、現在の渡良瀬川は利根川最大の支流となりました。