ふるさと足尾の歴史
足尾銅山物語①
足尾町閉町記念「足尾博物誌」という本を読むと、足尾のことが様々な角度から書かれています。その中でも、「足尾の歴史は、銅山の歴史そのものといっても過言ではありません。」と書かれている「足尾銅山物語」から、足尾の歴史について御紹介します。
「足尾銅山のはじまり」(小学高学年が読めるように簡略化)
江戸の初め、備前の国の農民が発見したとする「足尾銅山のはじまり」
足尾銅山は1610年に備前国(びぜん・岡山県)で生まれた足尾の農民、治部(じぶ)と内蔵(くら)の二人が渋川(しぶかわ)をさかのぼり、黒岩山に登って、銅を発見しました。江戸幕府は銅山を幕府が直接支配することにしました。黒岩山は、発見した2人の生まれた国の名前をつけて「備前楯山(びぜんたてやま)」としました。
しかし、それ以前から、足尾の銅がほられていたという記録はありました。
「足尾銅山のはじまり」(小学高学年が読めるように簡略化)
江戸の初め、備前の国の農民が発見したとする「足尾銅山のはじまり」
足尾銅山は1610年に備前国(びぜん・岡山県)で生まれた足尾の農民、治部(じぶ)と内蔵(くら)の二人が渋川(しぶかわ)をさかのぼり、黒岩山に登って、銅を発見しました。江戸幕府は銅山を幕府が直接支配することにしました。黒岩山は、発見した2人の生まれた国の名前をつけて「備前楯山(びぜんたてやま)」としました。
しかし、それ以前から、足尾の銅がほられていたという記録はありました。